この世とあの世を結ぶ量子というものは観た(固定した)瞬間に姿と位置情報を変える動的な存在です。
ですので、厳密には神社のマニュアル的なものというのは個人の状況やタイミングによっても動的に変わります。
それでも「ある程度の基本」を揺らぎの範囲として知っておくことでかなりわかりやすくなるのは確かなため、
神社のトリセツこと、くまちゃん式の神社取扱説明書というものを記しておきます。
マニュアルは守るものではなく、変わるものだとご認識ください。
神社のトリセツ 説明動画
神社の目的 神社は意宣りの場
- 神社の目的は御利益ではない
- 祈りではなく「意宣り」
- 願うのではなく、意に宣る(宣言する)
- 意とは神(宇宙を含む大自然)の意
- 自然の流れに乗って(自ら選んで)、生きていきます。と宣言するのが意宣り
世界を構成するもの
- 僕らは地球と世界で生きている
- 地球=物理的な地球、世界=頭の中の世界
- 体は世界の動きに反応する
- 神社の本質は地球でなく世界にある
神社という場について
- 神社は人と自然をつなぐ場所
- 建物、施設だけでなく、周りの神域(自然)含めて神社
- 神社は願い事をする場ではない
- 意宣りのための自分の生き方(道筋)を宣言するところ
- 自然の意に宣ってるから自然の流れが後押ししてくれる形になる(徳や御利益)
- 自然に逆らえば当然反発がある(祟りや厄)
神とのコミュニケーションとは
- 神社の参道は産道に例えられる。「さんどう」から「お宮」に入ることで生き物の生まれる前の状態(つまり神だった時の自分)に出会う道筋と重なる。
- そのための多くの神社では鏡が御神体に祀られてることが多い。
- 前提として神は言葉でなく「礼節」という手順でコミュニケーションをとる
- 礼節とは「その手順通りにやらないと効果が起きない手順」のこと
- 礼節を取らないと神に相手にされない、もしくは、無意識の罪悪感から祟り(※祟りの本質は神への不敬を自ら罰するDNAの自傷行為)が起きる。
- 霊的なものは動的に変化するため、絶対的な手順ではないが、おおまかなイメージで捉えていれば通常の参拝程度では問題ない
神社での礼節(参拝基本手順) ※ 独自の作法があるとこは動的に従う
- 鳥居をくぐる時に一礼
- 参道は端を歩く(真ん中は人でないものが通る道)
- 手水処で両手と口をすすぐ(すすぎ方にも手順がある)
- 人を含んだ自然の循環をイメージしながら喜んで出せる額のお賽銭(壱万円推奨)
- 鈴を軽く鳴らす(参道が女性器を表すことに対し、鈴と紐は男性器を表すという話もある=陰陽和合)
- 二礼二拍一礼
- 祝詞を唱える(神は人の言葉を理解しないが、言葉は神の食べ物、祝詞はこの世で一番美しい音の集まり=最高のご馳走と言われている)
- 気がついたところの境内をちょっとしたお掃除(木の葉一枚拾うでも良い)
- 参道を戻って鳥居をくぐる際にもう一度一礼する
ワンポイントアドバイス
基本的には、参道は左側通行です。横切るのはルール違反ですが、もし、どうしても横切らなければならない時は、頭をさげて横切ります。これを【揖《ゆう》】と言います。【揖】は礼儀作法のひとつです。
また、神を敬うのは何も神社へ行った時ばかりではありません。ふだんから、神に対してや、自然に対して敬いの気持ちを持ち続けていなければ、神社へ行った時だけ敬っても無意味になります。
神社の鳥居をくぐる時は、鳥居の下を踏まないこと、また、動物の革で出来たベルトやサイフを持ち込まないことです。境内に持ち込んで良い革製品は鹿革のみです。
あとは境内に橋があった場合は橋の上で伺をつかないことくらいです。(播磨陰陽師 尾畑雁多 氏の言葉)
くまちゃん式 神の略系図の解釈(アマテラス、ツクヨミ)
- スサノオ(勤労の神、荒ぶる神):クシナダヒメー歳神、稲魂(徳と厄)
- オシホミミーニギハヤヒ、ニニギ
- オオクニヌシ(オオモノヌシ=饒速日)ーエビス、タケミナカタ
- ニニギ←アメノコヤネ(天押熊根)、アメノウズメ、サルタヒコ、他